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読書録001:《詩のこころを読む》茨木のり子著

こんにちは、今日は読書記録をつけようと思います。Sabollon Blogです。

さて突然ですが、季節と読書の関係について考えたことはありますか?
読書の秋なんて言葉があるように、夜が長く一人で過ごす時間が増える秋は本を読むのに適しているように感じます。しかし、私は読みやすさという面だけでなく、どんな本を読みたいか、そんな部分にも季節は関わっていると思うのです。そして、私が春に読みたくなるのは詩。
そんなわけで、本日紹介する本は《詩のこころを読む》です。
しばし、お付き合いください。

目次

ざっくり著者紹介

茨木のり子さんという詩人をご存知でしょうか。
私が知っている彼女の作品は《自分の感受性くらい》という一編の詩だけですが、私が初めて心を打たれた詩です。そして、今でも大切にしている詩です。
この詩の紹介を、著者 茨木のり子さんの紹介に代えさせてください。


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子詩集「自分の感受性ぐらい」

ざっくり作品紹介

本作品《詩のこころを読む》は詩人 茨木のり子さんが大切にしている詩を紹介するという内容です。
どうやら意図的ではないようなのですが、偉大な詩人の素敵な詩が「誕生から死」の流れで並べられています。
詩人が詩に触れて何を思うのか、とても貴重で楽しい書籍です。

心に残った言葉と詩

表現の名に値するもの

自分の思いを深く掘り下げてゆくと、地下を流れる共通の水脈にぶちあたるように、全体に通じる普遍性に達します。それができたとき、はじめて表現の名に値するといえましょう。

茨木のり子「詩のこころを読む」

書籍の中で、黒田三郎さん「僕はまるでちがって」という詩の後に、茨木のり子さんが記した言葉です。
文章を読み、あるいは歌を聴いて、そこにある言葉に強く共感することがありますが、そんなときにふと、他人の言葉がどうして自分に響くのかと不思議に思うことはありませんか?自分と他人は異なる人生を送っていて、積み重なる記憶に同じものはなく、見ている世界の色さえもきっと違うはずだとそう思っているのに、どうして人の言葉が自分の心の声のように感じられるのか。私にはそれが不思議でならないときがあります。
茨木さんの言葉はこの問いに対する直接的な答えではありませんが、表現が目指すものと表現で打たれる心の関係に形を与えてくれたように思います。

心に残った詩

詩を読む前にその詩を読んだ人の感想を目にするなんてことは、きっと最悪なことでしょうから、気に入った詩の題名を書き留めておきます。(主に私がこのページから詩を辿るため。)

  • ふゆのさくら「新川和江」
  • 牟礼慶子「見えない季節」
  • 工藤直子「ちびへび」
  • 金子光晴「寂しさの歌」
  • 吉野弘「生命は」
  • 河上肇「老後無事」

最後に

春の読書に詩はいかがでしょうか?
同じ詩であっても自分の心情や価値観の変化によって感じるものは大きく異なると思います。自分が何を大切に思っているか、何に感動するか、その変化の指標としても心に響いた詩を大事にしたいです。

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この記事を書いた人

芸術と技術が好きなサボテンです。
自分を構成する知識や体験を少しずつ書き留めたい。

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